夜┃間┃飛┃行┃
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“The Book Project 夜間飛行”では、次世代の「本」の形を提案します
甲野善紀メールマガジン
┏┓「風の先、風の跡――ある武術研究者の日々の気づき」
┗□───────────────────────────
2011年4月4日 Vol.001
松聲館の甲野善紀です。
このメールマガジンという形態は、私のように技が常に変わり続けている
ような者にとっては、格好の発信の場だと思います。
また、思いがけない質問をいただくことで、私の中でもそれまで結びつか
なかった事が結びつき、違った角度から自分の技や術理を見直せる事もあ
るかもしれません。そして、もちろん質問して下さった方の中にも新しい
気づきが生まれることもあるでしょう。
それから、私が子供の頃からずっと関心を持ち続けてきた環境問題につい
ても、より多くの方々と意見を交流したいと思っております。
技や術理のこと、また環境問題などについても、どのような形態が、この
場に関わる人達にとって、より実のあるものなのか、これから様々な試行
錯誤を重ねながら進んで行きたいと思いますので、よろしくお願い致しま
す。
[「夜間飛行」編集室より]
甲野先生への質問や記事への感想、「こんな記事が読みたい」といったご
要望などは、kono@yakan-hiko.com (400文字以内/お一人様一問)まで
お送りください。「風向問答」コーナーなど、メルマガ内のコンテンツで
適宜、取り上げさせていただきます。
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※有料メルマガの購読、課金に関するお問い合わせは、
support@yakan-hiko.comまで。届かない場合などは迷惑メール等に分類さ
れて
いる場合もありますので予めお確かめください。
※バックナンバーは下記からウェブ経由で購入することができます。有料
です。
https://yakan-hiko.com/kono.html
※発行日は第1、第3週の月曜日です。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
┏┏┏┏ ━━━━━━━━━━━
┏┏┏┏ 今週の目次
━━━━━━━━━━━━━━━━
01 稽古録 現代剣道の常識を覆す<その1>
02 松聲館日乗
03 風向問答
04 この日の学校
05 今週のメディア出演
【今週のつぶやき】
これから、どんなにか思いがけない想定外の事態が起こってくるかわから
ない。だから、臨機応変に動ける柔軟な思考と、よく動く身体を作ってお
かねばならないと思う。
━━┯━━━━━━━━━━━━━
01 │稽古録
━━┷━━━━━━━━━━━━━
ここでは、日々の稽古の中で私が気づいた身体技法について、動画ととも
に解説していく。次々と変化していく動きを見て、武術のみならずこの世
のあらゆるものに「完成」など無いことを感じていただけたらと思う。
■現代剣道の常識を覆す<その1>
真剣(日本刀)は本来、竹刀よりも迅速に動くように作られている
私はそのことを昨年の8月に実感した。
そして、約7ヶ月経った時点での動きが、この動画である。
この動きには、二つの重要な点がある。一つは、「刀の持ち方」、そして
もう一つは身体、特に下半身の使い方である。今週は、「刀の持ち方」に
絞って、できるだけ詳しく解説をしてみたい。
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“The Book Project 夜間飛行”では、次世代の「本」の形を提案します
甲野善紀メールマガジン
┏┓「風の先、風の跡――ある武術研究者の日々の気づき」
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2011年4月4日 Vol.001
松聲館の甲野善紀です。
このメールマガジンという形態は、私のように技が常に変わり続けている
ような者にとっては、格好の発信の場だと思います。
また、思いがけない質問をいただくことで、私の中でもそれまで結びつか
なかった事が結びつき、違った角度から自分の技や術理を見直せる事もあ
るかもしれません。そして、もちろん質問して下さった方の中にも新しい
気づきが生まれることもあるでしょう。
それから、私が子供の頃からずっと関心を持ち続けてきた環境問題につい
ても、より多くの方々と意見を交流したいと思っております。
技や術理のこと、また環境問題などについても、どのような形態が、この
場に関わる人達にとって、より実のあるものなのか、これから様々な試行
錯誤を重ねながら進んで行きたいと思いますので、よろしくお願い致しま
す。
[「夜間飛行」編集室より]
甲野先生への質問や記事への感想、「こんな記事が読みたい」といったご
要望などは、kono@yakan-hiko.com (400文字以内/お一人様一問)まで
お送りください。「風向問答」コーナーなど、メルマガ内のコンテンツで
適宜、取り上げさせていただきます。
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れて
いる場合もありますので予めお確かめください。
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です。
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※発行日は第1、第3週の月曜日です。
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┏┏┏┏ 今週の目次
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01 稽古録 現代剣道の常識を覆す<その1>
02 松聲館日乗
03 風向問答
04 この日の学校
05 今週のメディア出演
【今週のつぶやき】
これから、どんなにか思いがけない想定外の事態が起こってくるかわから
ない。だから、臨機応変に動ける柔軟な思考と、よく動く身体を作ってお
かねばならないと思う。
━━┯━━━━━━━━━━━━━
01 │稽古録
━━┷━━━━━━━━━━━━━
ここでは、日々の稽古の中で私が気づいた身体技法について、動画ととも
に解説していく。次々と変化していく動きを見て、武術のみならずこの世
のあらゆるものに「完成」など無いことを感じていただけたらと思う。
■現代剣道の常識を覆す<その1>
真剣(日本刀)は本来、竹刀よりも迅速に動くように作られている
私はそのことを昨年の8月に実感した。
そして、約7ヶ月経った時点での動きが、この動画である。
この動きには、二つの重要な点がある。一つは、「刀の持ち方」、そして
もう一つは身体、特に下半身の使い方である。今週は、「刀の持ち方」に
絞って、できるだけ詳しく解説をしてみたい。
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歴史というのは振り返ってみると、
まるで筋書きがあるように展開している。
「もし、あそこで、ああしていれば、こうしていれば」という事は後になって言えることで
その時そうなってしまった事を、
いまさら悔いても仕方がない。
そして、
その微妙に外れて"トンデモナイ事態"を招いてしまった事と、
ちょうど逆の意味で、微妙に様々な事が繋がって、
思いがけない気づきやら立場やらが得られることもある。
私は19歳の時、
当時の農業が抱える問題や現代医学の矛盾やらに気づいた事がキッカケで、
それまで目指していた「南米に行って牧畜でもしよう」という人生設計が崩壊し、
私が最初に書いた本『表の体育・裏の体育』(PHP文庫)に書いた「裏の体育」、
つまりさまざまな民間の健康法や療法と出合った。
この事を起点として、
私は人間の精神の在り様の重要さを知り、
新宗教から伝統的な宗教に至るまで関心を持つようになった。
そして21歳の時、
「人間の運命は完璧に決まっていて、同時に完璧に自由である」という、
言葉で言えば矛盾している二重性こそが真実に違いない!との確信を持つに至った。
これは、
当時身辺を離さなかった禅の語録『無門関』や『荘子』、
それに一般人向けに書かれていた相対性理論の本などを読んでは考える日々を重ねながら、
現代医学とは異なる種々な健康法の成果や失敗を直接見聞きして感得した結論であった。
この結論を得てほどなく、
私はこの思想としては私の中で動かしがたい確信を得たものを、
体感レベルでも確信したいと武の道に入ることにした。
なぜ武道に志したかというと、
とにかく身体を通して向き合う緊急事態で自分の身体がどう動くか、
自分の精神がどう感ずるかを、
実地で研鑽するには、
これが一番向いていると思ったからである。
そして約40年。
当初の志がどれほど進んだかといわれると何とも答えようがないが、
あの40年前に抱いた確信が若干字句を変えて間違いなく今もあるし、
その若干の字句の違いが40年の年月をかけた深化といえば深化なのかとも思う。
それは
40年前は
「人間の運命は完璧に決まっていて、同時に完璧に自由である」であったが、
現在は
「人間の運命は完璧に決まっていているから、完璧に自由でもある」になっているという事だ。
つまり、
40年前は「完璧に決まっていて、同時に完璧に自由とは、
言葉で言えば矛盾しているかもしれないが、そうなのだ」という感じだったが、
現在は「完璧に決まっているから、思いきってやっていいんだ!という自由さがある」とでも言えばいいのか。
この課題を40年抱えてきて、
それがある程度身について出た言葉なのかと思う。
とはいえ人間は、
大勢の人の前で大欠伸するのも憚られるし、
そうそう自由とはいえない。
人間にとって重要なのは、
ただ単に自由を得るという事よりも、
感性と美意識を持つという事なのかもしれない。
その事は、
今回の東北・関東の大震災の数日後に、
私が師事している(友人のように接して頂いているが)
身体教育研究所の野口裕之先生にお会いして、深く染み透ってきた事でもある。
野口先生は
「震災の報道を見て"もののあはれ"を感じないところが、文化を失った現代日本の悲劇の証明…」と語られ、
「"もののあはれ"をなくして、ただ悲惨という事実のみになったのは
「定め」を拒否した近代人の脆さでしょう」とも続けられた。
そして、
「本当に人間を救うのは感性と美意識なのに、
それがなくなって災禍の中に咲く野の花の美しさに感動することが出来なくなった…」
と嘆かれていた。
感性と美意識を育む文化がないと、
人間は少しでも余裕が出ると犯罪をはじめロクでもない事にその時間を使うが、
身についた文化があれば、
余裕がある時はもちろん、余裕が殆どない時でも、それに時間を割こうとする。
野口先生のお話を伺っていて、
武術は身体の動きの質を追求するという最も基盤となる文化であり、
手に何もなくても、あるいはきわめて単純な棒一本あれば、
それで十分に行なえるという特色を持っている。
これからどうなるか、
きわめて不安定な要素の多い時代を歩んでいく上で、
「武術における身体運用の文化は少なからぬ力を持っている」と、
今それを感じている。
そして、
この身体運用の文化を深めていくことで、
人間が身体を使って日常の生活を送る、
という事そのものに生き甲斐を見出せれば、
現在の「便利さ」「豊かさ」を外に向かって求める傾向に
根本的変化をもたらす事が出来るのではないかと思う。
そうなれば、現在の環境問題も本質的な対応が出来るようになるだろう。
そういう流れが来ることを願って、いまこれを書いている。
まるで筋書きがあるように展開している。
「もし、あそこで、ああしていれば、こうしていれば」という事は後になって言えることで
その時そうなってしまった事を、
いまさら悔いても仕方がない。
そして、
その微妙に外れて"トンデモナイ事態"を招いてしまった事と、
ちょうど逆の意味で、微妙に様々な事が繋がって、
思いがけない気づきやら立場やらが得られることもある。
私は19歳の時、
当時の農業が抱える問題や現代医学の矛盾やらに気づいた事がキッカケで、
それまで目指していた「南米に行って牧畜でもしよう」という人生設計が崩壊し、
私が最初に書いた本『表の体育・裏の体育』(PHP文庫)に書いた「裏の体育」、
つまりさまざまな民間の健康法や療法と出合った。
この事を起点として、
私は人間の精神の在り様の重要さを知り、
新宗教から伝統的な宗教に至るまで関心を持つようになった。
そして21歳の時、
「人間の運命は完璧に決まっていて、同時に完璧に自由である」という、
言葉で言えば矛盾している二重性こそが真実に違いない!との確信を持つに至った。
これは、
当時身辺を離さなかった禅の語録『無門関』や『荘子』、
それに一般人向けに書かれていた相対性理論の本などを読んでは考える日々を重ねながら、
現代医学とは異なる種々な健康法の成果や失敗を直接見聞きして感得した結論であった。
この結論を得てほどなく、
私はこの思想としては私の中で動かしがたい確信を得たものを、
体感レベルでも確信したいと武の道に入ることにした。
なぜ武道に志したかというと、
とにかく身体を通して向き合う緊急事態で自分の身体がどう動くか、
自分の精神がどう感ずるかを、
実地で研鑽するには、
これが一番向いていると思ったからである。
そして約40年。
当初の志がどれほど進んだかといわれると何とも答えようがないが、
あの40年前に抱いた確信が若干字句を変えて間違いなく今もあるし、
その若干の字句の違いが40年の年月をかけた深化といえば深化なのかとも思う。
それは
40年前は
「人間の運命は完璧に決まっていて、同時に完璧に自由である」であったが、
現在は
「人間の運命は完璧に決まっていているから、完璧に自由でもある」になっているという事だ。
つまり、
40年前は「完璧に決まっていて、同時に完璧に自由とは、
言葉で言えば矛盾しているかもしれないが、そうなのだ」という感じだったが、
現在は「完璧に決まっているから、思いきってやっていいんだ!という自由さがある」とでも言えばいいのか。
この課題を40年抱えてきて、
それがある程度身について出た言葉なのかと思う。
とはいえ人間は、
大勢の人の前で大欠伸するのも憚られるし、
そうそう自由とはいえない。
人間にとって重要なのは、
ただ単に自由を得るという事よりも、
感性と美意識を持つという事なのかもしれない。
その事は、
今回の東北・関東の大震災の数日後に、
私が師事している(友人のように接して頂いているが)
身体教育研究所の野口裕之先生にお会いして、深く染み透ってきた事でもある。
野口先生は
「震災の報道を見て"もののあはれ"を感じないところが、文化を失った現代日本の悲劇の証明…」と語られ、
「"もののあはれ"をなくして、ただ悲惨という事実のみになったのは
「定め」を拒否した近代人の脆さでしょう」とも続けられた。
そして、
「本当に人間を救うのは感性と美意識なのに、
それがなくなって災禍の中に咲く野の花の美しさに感動することが出来なくなった…」
と嘆かれていた。
感性と美意識を育む文化がないと、
人間は少しでも余裕が出ると犯罪をはじめロクでもない事にその時間を使うが、
身についた文化があれば、
余裕がある時はもちろん、余裕が殆どない時でも、それに時間を割こうとする。
野口先生のお話を伺っていて、
武術は身体の動きの質を追求するという最も基盤となる文化であり、
手に何もなくても、あるいはきわめて単純な棒一本あれば、
それで十分に行なえるという特色を持っている。
これからどうなるか、
きわめて不安定な要素の多い時代を歩んでいく上で、
「武術における身体運用の文化は少なからぬ力を持っている」と、
今それを感じている。
そして、
この身体運用の文化を深めていくことで、
人間が身体を使って日常の生活を送る、
という事そのものに生き甲斐を見出せれば、
現在の「便利さ」「豊かさ」を外に向かって求める傾向に
根本的変化をもたらす事が出来るのではないかと思う。
そうなれば、現在の環境問題も本質的な対応が出来るようになるだろう。
そういう流れが来ることを願って、いまこれを書いている。